※ネタバレを含む場合があります。
この映画は25歳を区切りにして全ての人が1年の余命を与えられ、この余命を一種の通貨としてやりとりする社会を舞台にしたSF作品です。
さて、この作品の大きな特徴となっている「時間」についてですが、なるほどと思えるものではあります。
技術の進歩で人間は不老不死を実質的に手に入れることができた。しかし資源は限られていて全員を不老不死にするわけにはいかない。そこで一旦全ての人間に「平等」に最低限の時間を分け与えたうえで、それぞれの立場で余命を手に入れろということです。
そしてこの時間を通貨としてやり取りするシステムを介することで、富裕層は無限と言っていいほどの余命を手に入れ、まさに不老不死の存在になりえるのに対し、貧困層は数日ほどの余命しかなく、それを少しでも伸ばそうと日々を労働に費やす宿命を負い、そしてやりくりがつかなくなった人はそのまま死ぬのです。
つまるところこの映画で描かれているのは、自分に残された時間という資産を用いた資本主義社会であり、その階級構造そのものです。
そしてここで通貨として使用されているものが他でもない人間の余命、言うならば生命そのものであることにより、現金や貴金属のように要らない人は特別欲しがらないというものではなく、基本的には誰でも…それこそ本当に長時間を生きて全てに飽きてしまったような人以外は欲しがるものであり、欲しがらない人は死ぬしかないものとして描かれているのがなかなか上手いと思えます。
ただし、この映画からは科学が高度に発展した未来社会という雰囲気はあまり感じられません。
設定に大きく関わってくるはずの高度に発達した医療というような描写も特には見当たりませんし、他の部分もあまり未来的な描写は見当たらず、時間のやり取り関する部分以外は現代とたいして変わらない、あるいは現代よりも遅れたものではないかと思える程度のものです。
たとえば、現代の警察にあたる時間監視官は、時間のやりとりそのものはリアルタイムで掴んでいるにも関わらず、特定容疑者の行動をリアルタイムでは監視できず、あくまであちこちに設置してある監視カメラの映像を事後的に見たり、実際に現地で捜査を行なって掴んでいたりと、未来世界の警察とは到底思えないほど牧歌的な印象を受けてしまいます。
さらに言えば、作品を見ているうちに変な既視感にとらわれてしまいます。
数奇な運命の末、富裕層と貧困層の狭間でアウトローとして生き抜く男女。そしてそこに関わってくる警察やギャング…。
そして気が付きます。
ああ、これはボニーとクライドだ、と。
つまり「俺たちに明日はない」のような古典的な犯罪映画を、時間のやり取りというSF設定を入れて再構成したものがこの映画だと言えるのです。
そう思えば世界設定が未来世界にしては変に古臭いのも当然ですし、かなり強引な展開で銀行強盗になってしまうのもそういうものだと納得もできるというものです。
ただ、せっかく自分に残された時間をやり取りできる社会という面白い設定を作ることができた割には古典的な映画の現金を時間に変えただけの安直な作りになってしまっていることは否めず、どうせやるならこの特徴的な設定や、この設定を産み出せるほどの技術力を持った社会という状況をもっと活かしたストーリー展開にした方が良かったのではと思えてしまいます。
posted by lasta at 22:37
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