2011年05月08日

魔法少女まどか☆マギカ


鑑賞日時:地上波放送
評価:A+

原題:魔法少女まどか☆マギカ
Puella Magi Madoka Magica
製作:2011年 日本
監督:新房昭之
出演:
悠木碧
斎藤千和
喜多村英梨
水橋かおり
野中藍
加藤英美里




※ネタバレを含む場合があります。

このブログはあくまで映画ブログですので、テレビ番組のことは書かないようにしています。
しかし、どうしても自分の気持ちを書き連ねたい作品に出会ってしまいました。
「魔法少女まどか☆マギカ」
マギカという耳慣れないラテン語の単語が特異な印象を与える深夜放送の魔法少女アニメです。

ゲーテの戯曲「ファウスト」をモチーフとし、希望や絶望を大きく描いたこの作品は、先に書いてしまえば私にとって最高のアニメ作品でした。
この作品に出会えたことを感謝してならないほどです。

私自身は過去にアニメファンと言える時期があり、今でも映像作品の1ジャンルとしての評価はしており、その一環としてある程度の作品に目を通してはいるものの、逆に言えば映像作品の一環という以上の特別な感情や拘りがあるわけでもなく、特に地上波で放送されるアニメ番組は琴線に触れるような作品がなかなか無いこともあって、ここ数年は話題作を簡単にチェックする程度でしかありませんでした。
この作品も放送開始当初はそれほど注目されていたものでもなく、私からしてみれば存在すら把握していないような雑多なアニメのひとつでしかありませんでした。

しかし、この作品は3話の、魔法少女ものとは到底思えないような悲惨な急展開がネット上が大騒ぎになり、かなりの注目作になります。
それは私が普段見ているアニメの話題など滅多にでないようなコミュニティですら大きな話題になるくらいでした。
何か話題になってるし、一応念のため確認しておこうくらいの気持ちでチェックを始めたのが、この作品を見るきっかけでした。

たしかに、最初の数話は退屈な萌えアニメでしかありません。
魔女と戦う結界の描写や音楽など演出面ではかなり光るものを感じられるにしても、基本的には魔女と呼ばれる妖魔の類と戦うことを軸にした高年齢向けの魔法少女ものであって、それ以上のものは何も感じられません。
もし3話の急展開のことを知らなかったら、1話で見るのをやめていたでしょう。

そして3話、幸せの絶頂からドン底に叩き落とされるその展開は、既にある程度知っていたとは言え驚くべきものがありました。
もちろん、これだけなら他の多くの作品にも同様の場面は存在しているでしょう。
そして、この作品は奇跡を起こせるはずの魔法少女ものであり、自らの願いを叶えてもらう代償に魔法少女になる契約をするという特徴的なシステムが存在するため、どうせ復活を願い、そして復活させて終わりだろう、その程度の認識でした。

しかし4話で悲惨な死に恐怖したまどかが魔法少女になる道を選べなかったことで、この流れは大きく変わります。
この後、親友であるさやかが希望から絶望へと向かう流れを中心に描かれる中盤の展開はまさに恐るべきものがありました。
理想どおりにいかない現実の中で歪み、病んでいく姿は、魔法少女という姿を借りて戯画的に描かれているとはいえ、もはや人間の持つ業(ごう)を徹底的描き出していると言ってもいいほどのもので、現実に打ちのめされた経験のある人間なら感情移入せずにはいられないほどのものでした。

私は気がつくと、放送が終わると同時に次の放送を心待ちするようになっていました。
それはもう何年も、ひょっとするとエヴァンゲリオン本放送以来忘れていた感覚でした。

中盤の展開に一応の結末がついたあと、物語のキーパーソンであるほむらの過去を描いた10話が放送されました。
ここに至って私は、このアニメがただならない作品であることを確信しました。

このエピソードで描かれている内容そのものに特に驚きはなかったと言っていいでしょう。
ほむらが抱えていた秘密は、それまでの伏線や表現等でほぼわかりきっていたものでしたし、昨今のSF的テイストを取り入れた作品群の中ではむしろ定番のネタとすら言えます。
しかしこの当たり前で、むしろ陳腐と言っていいような内容を、圧倒的な演出と、神がっていると言っていいほどの演技で見せつけられたのです。

私自身信じられないことに、この回を見ているとき涙を禁じえませんでした。
一応チェックしてみただけの、それも深夜放送というオタク向け専用と言っていい時間に放送される、マニア向けと言っていい、少なくともいい年をした大人が見るものではないとされる魔法少女アニメ、そんなものを見て感動している自分が信じられませんでした。
それほどまでに心に訴えるものがあったのです。

大きな発見もありました。
それまで見逃していた伏線の数々です。
10話の内容を理解した上でそれまでのエピソードを見直すと、どうでもいいような場面が実は後に続く示唆や伏線になっていることが多いことに気付かされました。
特にほむらの行動や台詞の一つ一つの中に、まどかへの伝わらない想いが描き続けられていたことは特筆に値します。
それまであまり意味のないイメージソングくらいにしか思っていなかったオープニング曲「コネクト」が、実はほむらの気持ちを歌いあげていたということにも感動しました。

一見かわいい絵柄の魔法少女ものでありながら実際に進行するのは陰鬱なストーリーというギャップで人を寄せているだけと思わせがちなこのアニメは、実はどこまで作りこめば気が済むのだろうというほどに作りこまれている作品…まさに「作品」だったのです。

しかしここで大きな中断を余儀なくされます。
東日本大震災です。

地震と津波、そして原発事故と未曽有の大被害をもたらしたこの震災の影響でアニメ番組の放送は中断を余儀なくされました。
それから数週間がたち、他の多くのアニメが再開していったあとでも、この作品だけは放送再開の話すら出ませんでした。
クライマックスであるワルプルギスの夜の描写が災害を想起させるものだということは、それまでの断片的な描写からも明らかで、である以上放送が難しいことは容易に予測がつくことでした。
このままお蔵入りでも仕方の無い状況ではあったでしょう。
私自身、半ば以上諦めていました。
ストーリー的にも10話で一応の区切りが付いていたこともあり、地上波放送はここまでで残りは映画等の特殊な形で公開でもそれはそれでよかったのです。

結局、この心配は杞憂に終わります。
4月の半ばになって放送再開が発表されたのです。
深夜2時40分とうかなり遅い時間に11話12話の連続放送というかなりタフなものではありましたが、放送されるというそれだけでも大きな喜びがありました。

そしてついに放送された11話と最終の12話。
クライマックスでもあるこの2つのエピソードは、私の予想の遥か上を行くものでした。

私自身は途中の経緯はともかくとして、最終的には少女が大人になっていく途上での通過儀礼を描いたもの、端的に言えば銀河鉄道999的な話として収束させていく、具体的には仲間たち4人の犠牲を糧として、まどかが一人の大人として歩み始めるというラストなのかと思っていました。
しかし、最終話で描かれたものはそんな生易しいラストではありませんでした。

この締めくくり方には異論を持つ人も多いかと思います。
私も最初は、必要以上に話を大きくして目眩ましをして逃げる終わり方かな、と感じました。 
が、何度も見直し、細かいところまで考えていくにつれ、この終わり方しかないと思えるようになっていきました。

確かにこれはアニメ的なカタルシスとは異なるかもしれません。
ゲーム的な「ハッピーエンド」でもないかもしれません。
しかし、これこそがまどかが選んだ道であり、魔法少女の渾身の願いと希望、そして涙に報いる道であり、そして同時に、絶望の果てにある救いという、古典中の古典を現代に蘇らせたと言っていいものだったのです。

改めて書きます。
こんな素晴らしい作品に出会えたことを感謝します。
こんなアニメを作り出せるだけの力がこの国に残っていたことを感謝します。

そして、この素晴らしい作品を多くの人に見て欲しいのです。
確かに、見た目はイカニモな魔法少女アニメです。
それだけで抵抗がある人は多いでしょう。
さらに中盤の展開の陰鬱さも恐ろしいほどのものがあります。
見る人を選んでしまう部分も否定できません。

それでも、いろんな人に見て欲しい。
特に、普段映画を見てる人達に見て欲しい。

そんな気持ちにさせられてしまうのです。



まどか関連はこちらにまとめなおしました。
http://lasta.seesaa.net/category/10948229-1.html

posted by lasta at 01:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | ま行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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