2012年04月15日

宇宙戦艦ヤマト2199 第一章「遙かなる旅立ち」

鑑賞映画館:なんばパークスシネマ
シアター7
鑑賞日時:4月12日
評価:A

原題:宇宙戦艦ヤマト2199
第一章「遙かなる旅立ち」
製作:2012年 日本
監督:出渕裕
出演:
菅生隆之
小野大輔
鈴村健一
桑島法子


映画生活 goo映画


※ネタバレを含む場合があります。

ヤマトです。
もう何度映画化されたか数えるのも嫌になるくらいに毎度おなじみのヤマトです。
色々と微妙な復活篇、そして何を思ったか作ってしまった実写版に引き続きまた映画化されてしまいました。
今度はこれまでのように無理に無理を重ねたような続編や、ヤマトの名前だけ借りたような新シリーズではなく、最初のシリーズ…ヤマトと言えば誰もが思い出すデスラー総統率いるガミラスとの戦いのリメイク作になります。
今作は映画単体の作品ではなく、本来地上波向けに作られたシリーズを映画として先行公開するというちょっと特殊な興業になっていることも大きな特色と言えるでしょう。

正直言って、全く期待せずに見に行ったのですが、その感覚は大きく裏切られました。
これは素晴らしい。

ストーリー的には旧作をほぼ完全になぞっているもので新味は少ないにしても、新たに作りこまれた設定の数々が非常に効果的、かつリアルなのです。

すぐに気がつくのが旧作では諸事情により民間の調査船的な組織になっていたものが、今作ではかなり明確に軍事組織…というよりも海軍の一員として描かれていることで、階級も存在しますし、組織の名前も現在の護衛艦の艦内組織に近いものになっています。
階級が自衛隊式になっていることも個人的には嬉しいポイントだったりしますし、乗組員が艦名が入った識別帽をかぶっていたりなど、現代の海自の人たちがそのまま宇宙に行っているような錯覚さえ覚えます。
旧作ではよく考えるとよくわからない会敵で一方的な負け戦になった冥王星会戦も、「メ号作戦」と旧海軍的な名前を付けられイスカンダルの使者からガミラスの目を欺くため揺動作戦として位置づけられるなど説得力が増しています。
この会戦を指揮した沖田は艦隊司令であり、旗艦には別に艦長が乗っているというのも、海軍の組織としては当たり前のことではあっても、この手のアニメでは意外と無視されがちなことがきちんと描かれているのも評価できる点です。
ついでに言えば敬礼が挙手の礼、それもきちんとした海軍式の礼だったのにも感心しました。
どうせリアルに設定するのなら、階級章は海軍世界共通の大佐(1佐)が4本線、大尉(1尉)が2本線という奴にすればいいのにと思うほどだったりするくらいです。何しろ今作の階級章は3佐が海自の3曹に見えてしまいますので(笑

また、ガミラスにきちんと言語が設定されているのも雰囲気を出していますし、TV放映時になぜか途中で肌の色が変わったのも、初期に登場した肌色のガミラス人は被征服民族であるという設定を作ることでクリアできていて、なかなか上手いと思いました。

新キャラに女性キャラがやたら増えているのも、どう考えても無理があった森雪の役職を整理した上で、登場人物のバランスを考えればかなり増やす必要があるのは当然でしょう。
アホ毛まである萌えキャラ風味なところに不安感が無いわけではないですが、今からそれを心配してもしょうがないです。

気になった点で言えば、古代守が乗るユキカゼが特攻する場面で、旗艦を逃がすための囮になったというのはわかるのですが、描き方がロマンチシズムに偏っていたせいか、死にたいから死にに行ったと見えてしまうのはちょっと問題があるかと感じました。この「ユキカゼ」の機動が艦艇としては俊敏すぎるきらいがあったのもちょっと気にはなります。まぁこれは小型艦だからだというのが大きいでしょう。

何にせよ、まだまださわりの段階ではあるとはいえ、現時点では最上級の評価を出さざるをえないほどのものを作られていることだけは確かです。
このあとストーリーが進みにつれてTV版とどう違いが出るかなど、今後が非常に楽しみな作品だとは言えると思います。

個人的には、森雪=ユリーシャなんだろうなぁと見ていますが、さてどうなりますか。





posted by lasta at 03:54 | Comment(2) | TrackBack(1) | あ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

TIME/タイム

鑑賞映画館:MOVIXココエあまがさき
シアター5
鑑賞日時:2月23日
評価:B

原題:In Time
製作:2011年 アメリカ
監督:アンドリュー・ニコル
出演:
ジャスティン・ティンバーレイク
アマンダ・サイフリッド
キリアン・マーフィー
オリヴィア・ワイルド
マット・ボマー

映画生活 goo映画


※ネタバレを含む場合があります。

この映画は25歳を区切りにして全ての人が1年の余命を与えられ、この余命を一種の通貨としてやりとりする社会を舞台にしたSF作品です。

さて、この作品の大きな特徴となっている「時間」についてですが、なるほどと思えるものではあります。
技術の進歩で人間は不老不死を実質的に手に入れることができた。しかし資源は限られていて全員を不老不死にするわけにはいかない。そこで一旦全ての人間に「平等」に最低限の時間を分け与えたうえで、それぞれの立場で余命を手に入れろということです。
そしてこの時間を通貨としてやり取りするシステムを介することで、富裕層は無限と言っていいほどの余命を手に入れ、まさに不老不死の存在になりえるのに対し、貧困層は数日ほどの余命しかなく、それを少しでも伸ばそうと日々を労働に費やす宿命を負い、そしてやりくりがつかなくなった人はそのまま死ぬのです。
つまるところこの映画で描かれているのは、自分に残された時間という資産を用いた資本主義社会であり、その階級構造そのものです。
そしてここで通貨として使用されているものが他でもない人間の余命、言うならば生命そのものであることにより、現金や貴金属のように要らない人は特別欲しがらないというものではなく、基本的には誰でも…それこそ本当に長時間を生きて全てに飽きてしまったような人以外は欲しがるものであり、欲しがらない人は死ぬしかないものとして描かれているのがなかなか上手いと思えます。

ただし、この映画からは科学が高度に発展した未来社会という雰囲気はあまり感じられません。
設定に大きく関わってくるはずの高度に発達した医療というような描写も特には見当たりませんし、他の部分もあまり未来的な描写は見当たらず、時間のやり取り関する部分以外は現代とたいして変わらない、あるいは現代よりも遅れたものではないかと思える程度のものです。
たとえば、現代の警察にあたる時間監視官は、時間のやりとりそのものはリアルタイムで掴んでいるにも関わらず、特定容疑者の行動をリアルタイムでは監視できず、あくまであちこちに設置してある監視カメラの映像を事後的に見たり、実際に現地で捜査を行なって掴んでいたりと、未来世界の警察とは到底思えないほど牧歌的な印象を受けてしまいます。

さらに言えば、作品を見ているうちに変な既視感にとらわれてしまいます。
数奇な運命の末、富裕層と貧困層の狭間でアウトローとして生き抜く男女。そしてそこに関わってくる警察やギャング…。
そして気が付きます。
ああ、これはボニーとクライドだ、と。
つまり「俺たちに明日はない」のような古典的な犯罪映画を、時間のやり取りというSF設定を入れて再構成したものがこの映画だと言えるのです。
そう思えば世界設定が未来世界にしては変に古臭いのも当然ですし、かなり強引な展開で銀行強盗になってしまうのもそういうものだと納得もできるというものです。

ただ、せっかく自分に残された時間をやり取りできる社会という面白い設定を作ることができた割には古典的な映画の現金を時間に変えただけの安直な作りになってしまっていることは否めず、どうせやるならこの特徴的な設定や、この設定を産み出せるほどの技術力を持った社会という状況をもっと活かしたストーリー展開にした方が良かったのではと思えてしまいます。





posted by lasta at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英数・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。