2011年02月07日

最後の忠臣蔵

鑑賞映画館:TOHOシネマズ伊丹
スクリーン6
鑑賞日時:12月31日
評価:A-

原題:最後の忠臣蔵
製作:2010年 日本
監督:杉田成道
出演:
佐藤浩市
役所広司
桜庭ななみ
安田成美
山本耕史
伊武雅刀


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※ネタバレを含む場合があります。

江戸時代中期に実際に起きた事件である元禄赤穂事件。
この事件を元にした創作ものである忠臣蔵は当時から歌舞伎や浄瑠璃の題材として使われ、今日でも時代劇の定番中の定番となっているほどのものです。
そしてこの映画もタイトルのとおり忠臣蔵を扱った作品ですが、通常は討ち入りをクライマックスとすることが多いのに対し、この作品では討ち入りの後、生き残った人たち…特に討ち入り参加後に行方をくらまし、結果的に唯一の生き残りとなった寺坂吉右衛門と、討ち入り直前に行方をくらまし、その後の消息が全くわからない瀬尾孫左衛門、そして大石内蔵助の隠し子である可音などを中心として描いたものです。

もちろん、忠臣蔵というタイトルを冠してはいますが、前述のとおりあくまで後日談を描いたものですし、それも身分を隠してかつての主君の娘を育てる浪人という地味な話でもありますので、いわゆる時代劇的な盛り上がりはありません。
しかし、様々な思いが交錯していく姿を人形浄瑠璃の曽根崎心中を随所に暗喩として挿入しながら描くこの映画は全体を通した凛とした雰囲気や、その雰囲気を醸し出す出演者たちの熱演、そして繊細なストーリー展開や演出など、あらゆる部分が全く悪いものではなく、むしろ芸術的とすら言えるほどのできです。

ストーリー的には、全国に散った赤穂浪士たちの消息を追う寺坂吉右衛門を中心に語られ、この行脚が元々の原作の主軸でもあるのですが、この映画に関しては実質的に主役は瀬尾孫左衛門で、彼が主君の娘を育て、紆余曲折の末に豪商に嫁がせ、そして最後には自決するところまでが描かれます。
言ってみれば、ある意味で唐突に自決をしてしまう彼の死生観、あるいは武士としての生き様がこの映画のテーマと言っていいでしょう。

彼が幸せに生きようと思えば、自決などせずとも可音の愛を受け入れることも、あるいは彼女を嫁がせた後に彼をうけいれようとした夕とともに暮らすことも可能だったはずです。そしてそれを選べば、市井の端でほとんど誰にも知られることもなく、行商の一人として余生を過ごすこともできたでしょう。
しかし、彼はそういう生き方はできなかった。
商人に身をやつしていたのも、逃げたという汚名を甘んじて受けたのも、全ては主君の密命をはたすため。
彼の心はあくまで武士であり、そして討ち入りを行い自刃をして果てた46人とともにあったということなのです。
であるからこそ、可音を嫁がせることで使命を無事に果たした後は、46士…そして主君である大石内蔵助を追うように自刃をした、ということなのでしょう。

現代的な目で見ればあまりにも壮絶な考えであり、またほとんど自己満足と言っていいほどに周りを無視した生き方でもあります。
しかしこれこそが彼が考える武士の生き様、武士の死生観というものなのでしょう。

ただし、この映画には大きな疑問も残ります。
果たしてそれは本当に武士の生き様なのか、と。
完全にただの自己満足ではないのか、と。

商家に嫁いだこと自体はともかく、あまり女癖が良さそうには見えない豪商の嫁という立場がそれほど幸せなものとは到底思えませんし、そこに嫁がせたら安心というのも間違ってるでしょう。
である以上、彼女の行く末を可能な限り見守るのも、主君から受けた命に違わないどころか、その使命の一部と考えることも十分すぎるくらいに可能です。
この立場から見れば、彼の死は本当にただの自己満足です。
さらに言えば、かなりの長期間居候したゆうに対しても、その恩を返すどころか裏切る形での自刃です。
これでは武士の生きる道として本当に正しいのか非常に疑問に思ってしまいます。

さらによく考えた場合、滅私奉公的な忠誠心、あるいは主君の命令は命に代えても貫き通すといったようなことを大上段に訴えるような映画であるにも関わらず、その命令は自分の隠し子の後見人になれという極めて私的な、それこそ公私混同と言って差し支えのないものです。
このようなおかしな命令に従うということは、上の命令がおかしなものであった場合は全力で諫言し、場合によってはその主君を押し込めることさえ厭わなかった江戸時代の武士道の精神とは反するもので、上の命令はたとえ理不尽なものであっても従えとする明治以降に再構築され喧伝された「武士道」の精神に従ったものと言えるのではないでしょうか。

これはいったいどういうことでしょう。

よく調べてみますと、どうやらこの話には原典が存在するようです。
「祇園可音物語」という江戸時代から流布していた話で、これによると茶屋に嫁の世話を頼まれた反右衛門という浪人が可音という娘を紹介し、かなりおかしな婚儀を行った後、浪人は自殺。事情を聴かれた可音は自分は大石の娘で反右衛門は大石の部下だったと証言した、という筋書きです。
もちろん史実でもなんでもない俗書の話です。

つまり、この話は「祇園可音物語」を、行方不明になった瀬尾孫左衛門や、妾であった可留の存在などを使い、いわゆる忠臣蔵の続きものとしてアレンジした作品と言えるのです。

そう考えればある程度おかしな点があるのも、もともとの俗書のストーリーに無理があるうえに、さらに忠臣蔵の本筋につなげるために無理なアレンジをしている以上しかたのないことではあるでしょう。
しかし、ある程度の粗を看過しさえすれば、それらの無理がほとんど気にならないほどに細かなところまで練りこまれ、よく作られた見事な創作ものだと言えるのではないでしょうか。

何にせよ、ほとんど芸術的な域に達していると言っていいほどの映画です。
一見の価値がある映画だということは間違いなく言えるでしょう。


※ こちらのページを参考にさせていただきました。
http://www.geocities.jp/yuraoni7/newture/newture01.htm





posted by lasta at 00:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | さ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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